ハワイ移住というと、
多くの日本人が成されているので、比較的手が届きやすいとお思いですが‥
冗談じゃありませんっ!!!!ヽ(`Д´)ノ
有名人さんのブログには、移住までのプロセスや苦労話などはほとんどなく、
とてもスムーズに書かれている印象が強いのですが、
とんでもありませんっ!!!!ヽ(`Д´)ノ
私はこれより、リアルな移住までのプロセスを綴っていきたいと思います
ハワイ移住を夢見るじーちゃん,ばーちゃん、とーちゃん、かーちゃん、若者たち、
覚悟してご覧あれっ!!!!ヽ(`Д´)ノ
前もって言わせていただきますが、
このシリーズでの口調はついつい厳しいものになってしまいますが、
自分で言うのもなんですが、以前の素朴でピュアな私の性格すら変えるほど、今回の移住は大変なものでした。
悪しからず、ご覧いただけると幸いです。
本当~~~~に大変だったのです。(T_T)
と、言うのも
私が獲得したビザは、学生ビザや就労ビザではなく投資家ビザ(E2ビザ)だからなのです。
(ビザの種類に関しての詳しい話は後にしますね。)
ハワイ移住までの道のり ①
応援
タレント業復帰!
タイムカプセル
現代的ね‥
ハワイ移住までの道のり ②
まず、簡単に改めて自己紹介をさせていただきます。
私、海川ひとみは、愛知県名古屋市生まれ。
10代後半から20代前半にかけての約10年間、タレント業をしておりました。
正直、鳴かず飛ばずで、見かねた主人に拾ってもらい引退し、結婚し、現在4歳になる愛してやまない息子がいます。
あの時、主人が私を拾ってくれなかったら…と思うと鳥肌が立ちます。。。
主人は大手広告代理店の部長職をしておる傍ら、投資家をしております。
子供の面倒見もよく、最高の夫なんです…が!!!!
口と態度は極悪です(笑)本人曰く、「性格も悪いよ!」と今、隣で言ってます。
話は私の生い立ちに戻ります。
平々凡々の家庭に生まれ、父、母、2つ上の兄1人、6つ下の妹1人の5人家族です。
兄弟の真ん中ということもあり、我慢ばかりの幼少期でした。
それでも努力することは得意で、高校受験前の個人面談では担任の先生に
「この偏差値なら旭丘高校(当時県1番のトップ高校)狙えますね。」
と、言われるも、合格するであろう別の高校を選びました。
それはなぜか???
もし挑戦して県トップの公立高校に落ちて、結果的に私立高校に行ったら、
親に金銭的に迷惑かけてしまうと思ったからなのです。
大学受験では、興味のあった栄養や料理の道に進みたく、
親に「東京の大学を受験したい!」と懇願するも、
「名古屋から出ちゃダメ!!」と母にこっぴどく言われ、
名古屋の金城学院大学の家政学部家政学科に通いました。
私の悲劇はここから始まります。
今度は父に「お兄ちゃんも私立大学。ひとみも私立大学にこのまま通わせられる金銭的余裕がない」と言われ中退。(ちなみに6年後に妹はなぜか私立大に入学し卒業しています。)
この時私は強く願います。
もし私に子供ができたら、その子が望む教育の全てをさせてあげたい!と。
そして私は母の反対を押し切って上京します。
何も知らない無知な私は
「家族に何不自由ない暮らしをさせたい。」
「お世話になった中京テレビ『ラブリーパブリー』時代の恩師に恩返ししたい」
その2つだけをモチベーションにご縁のあったタレント業をしてましたが、
世の中そんなに甘くなく、
最後は見かねたドSの旦那が「仕方無いから最後に大きなCMに使ってやって嫁にもらってやるよ」という感じで拾ってくれました。
旦那は慶応義塾大学法学部政治学科を卒業し、学生時代、全国模試では1位の経歴を持つ人で、
私とは違い、育ちも家柄も良く、私が今までしたことのない色々な経験をさせてくれました。
そこで思うようになります。
私はこれで良いのか?。。。と。
旦那からも、せっかくだから「子育て大優先で出来るなら、仕事をしてみたら?」とのアドバイスもあり、
リムジン仲介業者の立ち上げを考えてみたり、
主人の信頼する仕事仲間さんの会社で新規事業の立ち上げ、部下のマネージメント業務に携わりました。
そして原点に戻ります。
私は、やはり料理の道に進みたい!!!!
さらには、旦那が愛してやまない
ハワイで飲食店を経営したい!!!!
こうしてハワイ移住への扉を開けることになったのです。
ハワイ移住までの道のり ③
さてさて
茨の道のスタートです。
先ずは、ビザが無くてはアメリカ(ハワイ)に移住できません。
観光目的で日本人がハワイに行くのは最長90日までです。(もちろんアメリカでは働けません)
ハワイに移住している日本人は本当にたくさんいます。
よく聞くビザの種類は、
アメリカ国籍の人または永住権保持者と結婚して、もらえるビザ。
そして、学生ビザ。(アメリカでは働けません)
子供をハワイで育てたい方々が、このビザで移住している話を色々な方面でよく聞きます。
ただし、一定の年齢以下のお子さんでは学生ビザが取れないため、
親が学生ビザを取り、子をハワイのスクールに通わせるというパターンになるようです。
一時は私も考えましたが、働けない上に、私と息子の学費ばかりかかるので断念。
(住むとなると食費、家賃、医療保険、車等々、
生活するだけでも毎月50万円ほどかかるのに、
その上2人分の学費となると、毎月70万円ほどかかってしまう計算になります。
この話はまたおいおいしていきます。)
さらにこちらは卒業後はもちろん日本に帰らなくてはなりません。
ハワイで飲食店を経営したい私の場合は、働けなくては全く意味がないのと、
息子を出来るだけ長くハワイのスクールに通わせたいのもあり、
夫の情報網を駆使し、幾つかの選択肢を見つけました。
今回はその第一弾
EB-5ビザについてお話しさせてもらいます。
私はコミュニケーション能力及び折衝能力が夫より著しく劣る為、説明会には頭を下げ夫に行ってきてもらいました。
その結果。。。。。。。
超不機嫌で戻ってきた夫。。。。。。。。。何が起こったのか恐る恐る聞いたところ
1、EB-5ビザはアメリカ本土の政府が決めた不動産に投資すること
2、金額は50万ドル以上の投資の必要がある
3、ビザ獲得まで3年を要する(ただし永住権獲得)
4、当然投資家本人のJOBHISTORY及び両親のHISTORYまで厳しいチェックが入るとのこと
要するに、私は大変お恥ずかしいながら、条件を1つも満たしていないのです。
夫はそんな落ち込んでいる私を横目に「俺なら余裕♫」だってさ。はいはい。
こうしてEB-5ビザの取得は断念することになったのでした。
次回に続く‥
ハワイ移住までの道のり④
慣れ親しんだ日本を離れることに、寂しさと期待と複雑な気持ちになってしまっているGWです。
前回はEB-5ビザについてお話しさせていただきました。
当然諦めがつかず。。。。
またも夫の情報網を駆使して、ある人を紹介していただきました。
その方は、アメリカ合衆国ビジネスマンオブイヤーを獲得したこともあり、本も6冊執筆し
ブッシュ大統領、安倍首相ともお知り合い(因みに本の表紙はブッシュ大統領との2ショットの写真を使用してます)。
そして、E-2ビザ獲得のスペシャリストであって、かなーり名の知れた有名人だそうです。
E-2ビザとは、
簡単に説明しますと。。。
アメリカに事業を起こし、
一定以上の現地の方を雇う事ができる人。
またはすでに展開している会社(お店)を買収し、
その会社が現地の方を一定以上既に雇っている場合、
あくまでも取得権利者となります。
最終的には移民弁護士を雇い、
膨大な資料を作成し(私の場合は450ページでした)、
アメリカ大使館にて面接をし、
合格した者のみが獲得できる永住権を除く最強のビザと言われています。
ビザ面接時の難易度も高いそうです。
さて。。。。。
私は相変わらず会話力が夫より無く、万が一、商談が不発に終わった場合、
極悪夫からの仕打ちを考えるととてもとても、アポイントすら取るのも怖かったので、
今回もアポから実際ハワイに行って打ち合わせまで全て夫にお任せしてしまいました。
(それはそれは嫌味を言われましたが、夫もこの頃から私の熱意が伝わり、少しその気になってきてくれた様で。。。)
さて土日を含め、2泊4日の強行突破でハワイに行った夫さまさま!!
今回は帰国するなり
『無敵!やっぱ俺 星強いわーー』
超ご機嫌!!ほっ♪
聞いてみると、
現地でE-2ビザ獲得のスペシャリストさんが、現地のある大きなデパートの総責任者を夫に紹介してくれたのですが
(そのデパートにテナントで入っている飲食店を買収するという座組で動こうとしていました)
そのデパート責任者の了承がなければ、良い飲食店も紹介してくれないし、そもそも嫌われたら狭いハワイで商売は出来ないらしいのです。
ところが、
紹介されたデパート総責任者は、夫の高校&大学の後輩さん!
しかも高校の部活の後輩さんでもあったのです。
その責任者さんは、デパートに入っている最高のお店を夫(私)に明け渡すことを約束してくれたようなのです。
ところが!!!!!!
世の中、やはりそう甘くはなく、その後大きな大きな大問題が勃発したのでした。
お花見に‥
日本にいる時には‥
日本にいる時に、たらふく和食を食べておこう!
ヤングガンガン
ハワイなう
贅沢なランチ
ハワイ移住までの道のり⑤
さて、ハワイ移住までの道のり、第5弾!
前回、夫がご機嫌で帰国しこのまま、上手くレールが引かれると思いきや。。。の続き
やはり、世の中は一筋縄で行く訳なく、後日大変な事になってしまいました。
何と、そのデパート、移転する事は知っていたんですが、テナント契約が土地持ち主と上手く行かず
そのデパート内の飲食店の誘致以前に、私レベルでは理解不能な大きな大きな政治的問題が大勃発したのでした。
デパート責任者、ブローカー、コンサルタント、移民弁護士、そして夫それぞれの思惑で日本、ハワイ間で
連日連夜揉めに揉めまくっていました。
私も息子の学校の入学迄の時間も待った無しの状況になりつつありました。
(ハワイの義務教育は8月の時点でに5歳になっている児童が対象でして、
義務教育はしっかり受けさせたい親心がありまして)
恐る恐る夫に相談しました。
夫も、どこかでこの問題にケリをつけなければと考えていたみたいでした。
そして私は大きな決断をしたのでした。
「今回は見送ろう!縁が無かったし、例え着地したとしても皆がそれぞれ感情的になっている中でお店を買収しても、狭いハワイで評判だけが悪くなるよ!」
必死に訴え、さすがに夫も、今回は私の思いを理解してくれ無条件にこの案件から手を引く事を決めました。
でもでも!!!
これでまた振り出しに戻ったのです。
私は、このまま夢をあきらめる訳にはいかない。
ここで弱気になっているようじゃ異国の地ハワイで会社を立ち上げ、マネージメントなんかできないじゃん!と自分を奮い立たせました。
でも、手持ちの駒がどんどん無くなってきている。時間は刻々と迫ってきている。
夫も連日、必死にネタを探している。機嫌も悪いし・・・
あっという間に2015年の夏が終わろうとしてました。
この時期は辛かったです。
何回も気持ちが折れそうになりました。
でも、私の夢である大好きなハワイでの飲食店経営の夢に、旦那を始め、関係者皆さんが諦めないで動いてくれている。
普段泣き虫の私も、この時期は気合入ってました 。
2015年秋になろうとしていた時
遂に神様が手を差し伸べてくれたのです。。。。。 続く